今津の歴史

今津最古の住民は1万年前の縄文人


 
西部埋立地の建設工事の前、1995~1999年にかけて文化財の発掘、調査がおこなわれました。
 

弥生時代のこもぐら(小葎)遺跡


 
1976年(昭和51年)、シーサイド病院の杭打ち工事中に発見された遺跡で、緊急調査が行われました。
 

栄 西


 
今津は博多津に対して、新しく開かれた怡土荘の貿易港と考えられています。
 

元 寇


 
蒙古襲来とも呼ばれますが、「元寇防塁」とセットで「元寇」と呼ばれることの方が多いようです。
 

防 塁


 
文永11年(l274)蒙古(元)の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて
 

元寇記念碑修復事業


 
今津校区のシンボル元寇防塁保存の顕彰の一環として令和2年「元寇記念碑保存会」が設立され、記念碑の修復が行われました。
 

柑子岳城跡


 
博多湾を望む標高254mの柑子岳に築かれた戦国時代の山城です。
 

前五ヶ浦廻船


 
福岡藩では、漁業や海運業など、海を舞台にして生活を営む沿岸の村々を浦とよび、浦奉行を置いて支配しました。
 

今津の干拓


 
高さ1.8mの玄武岩の石碑で、平面に安政6年(1859)正月に創功、11月20日潮留、堤防長六百間余と記されています。